「もののけ姫」の結末!アシタカとサンはどうなった?ラストシーンから考える!

世界的にも認められている名作「もののけ姫」。

衝撃的なクライマックスを迎えながらも、最終的にはハッピーエンド。

かと思いきや、やはり謎が残ります。

アシタカとサンはその後どうなったのでしょうか?


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「もののけ姫」は最初から最後まで目が離せず、その全てが考えさせられるアニメ。

ジブリアニメではお決まりの終わり方ですが、やはり気になるのはその後のことです。

アシタカとサンは、あれからどうしたのでしょうか?

アシタカの思いからその後を読み取る

サンとアシタカがその後どうなったのか?

その答えは、作品を通してしっかりと見ていれば見えてくることではないだろうか。

よくある恋愛物語なら、戦いは終わって平和になり、結ばれてめでたしめでたしといったところだろう。

だが、それだけではこの世界は終わらない。

アシタカの思いとは一体どんなものだったのか?

最初から最後までのアシタカの振る舞いを見てみよう。

自分に負けず、欲望に走らず、他を助け、誰もが共生していくことだけに力を注ぐ。

これがアシタカの思いではないだろうか。

となると、恐らくアシタカはサンと共に森で暮らすこともなければ、タタラ場にずっと居座ることもないはずだ。

いつまでもどこまでも世を乱すところを直していく。

自分の信念を曲げずに貫いていく。

それがアシタカ。

カヤと別れた時から恐らくそれは決まっていたことだろう。

アシタカの闘いは終わらない

ラストのシーンで、全てが解決したかに見えるが、アシタカの腕にはわずかな呪いが残る。

それが何を意味するのかは誰にもわからない。

しかし、それがアシタカも一人の人間であるという証拠。

どこまでも自分の運命を受け入れ、信じている世界を目指して走り続ける。

終わりがあるのかないのかもわからない。

それでもアシタカは理想とする世界を求めて、傷つきながら、迷いながらも自分と闘いながら生きていくのだと思う。

先のことなど誰にもわからない

こうした作品のその後というのは、決まっているものではない。

だからこそ、見ている人はこうしてずっと考え続けるのだ。

きちんとした結末があると、それで答えが決まってしまう。

しかし、未来は決まっているものではないし、終わりなどはない。

作品自体がこうした終わり方をすることで、それを伝えたいのではないかと私は思う。

これから先でどんな苦難が訪れるかはわからない。

ただ、アシタカは心に決めた思いだけは変わらない。

それだけで生きる意味は十分にある。

もしかしたら、サンとアシタカのその後、結末を問うこと自体が愚問なのかもしれない。

何がどうなっても同じこと

アシタカとサンの結末が決まっていたとする。

例えば、森でサンとアシタカは子供を作って暮らした。

例えば、タタラ場で嫁をもらって家族を作って暮らした。

それがあたかも結末のようにも思えるが、それが果たしてゴールなのだろうか?

例え家族を持とうが、森で暮らそうが、タタラ場で暮らそうが旅に出ようが、アシタカの心は変わらない。

そして、どんな道をたどったとしても、その先にはまた新たな試練がやってくる。

人は生きている限り、ゴールなどはない。

ただひたすらに自分の信じる道を突き進むしかない。

結論が出るのは全てが終わった時。

その人の人生が終わった時だ。

アシタカもサンもエボシも生きている。

だからこそ、その先の結末などはどうでもよく、その後どうなったのかはさほど関係のないことなのだ。

価値観によって感じ方が違う

ジブリアニメのすごいところは、一人一人のキャラクターがしっかりと描かれているところ。

リアルな人間像をきちんと表現し、どの視点で見るのかによって感じ方は大きく変わる。

例えば、「となりのトトロ」を幼少期に見た時には子供目線で見ていただろう。

しかし、大人になって家族を持てば親目線で見てしまうようになる。

「もののけ姫」を見た時に、自分が何を感じるのか。

どの目線で見ているのか?

中には、テレビの向こう側の世界だと考えながら見る人もいるだろう。

だが、ある程度経験のある人なら、登場する人物のどの目線でも見られるはずだ。

誰も悪くはない、それぞれが思う正義に向かっているだけ。

ただそれだけのこと。

アシタカはたまたまその主人公だというだけで、彼が正しいとは限らない。

その答えは誰にもわからない。

だからこそ、アシタカとサンがその後どんな行動をとったのかなどは知る由もない。

ひとつの戦いが終わり、それで全てが解決したように見えるのなら、そうなのだろう。

まだ戦いは終わらないと見れば、終わらないだろう。

どんな場面を切り取っても、見る人の価値観によって全てが変わる。

作品が終わってからの結末も見る人それぞれだってことだ。

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アシタカは素晴らしいが孤独

「もののけ姫」という作品は、それぞれの人生を描きながらも、やはりアシタカという一人の人間を強く描いた作品だ。

常に強く、逞しく生き、自分の信念を貫いて生きる素晴らしい人間だ。

しかし、アシタカは神ではなく一人の人間。

やはりどこかに頼らなくては生きてはいけないし、いつまでも自分を犠牲にし続けることが正しさとも限らない。

行いは素晴らしくても、誰にも力を借りないその生き方が、かえって誰かを傷つけることがないとも限らない。

自分の目で見て、曇りなき眼で見定め、自分で考え、自分で行動する。

それだけで本当にいいのだろうか?

誰かにもらった愛を、他の誰かにまた分け与える。

それができる人間ほど素晴らしい存在はいない。

だが、それはどこまでも孤独な人生を歩むことを意味している。

 

見方によっては、アシタカは迷走し、着地点が見えない状態だともいえる。

アシタカとサンのその後の真相は?

結局のところ、アシタカとサンはどうなったのか?

結論から言えば、その答えはない。

宮崎監督は、「アシタカはその後~だっただろう」というコメントもしている。

だが、それは宮崎監督の見るその後のストーリーだ。

私は、アシタカはサンには会いにはいかず、自分の信念に従って生き、同じ運命ならばいつかどかで出会う。

そうした流れ、運命に身を委ねて生きていくと思う。

そして、その後どうなるのかはアシタカにサンにも宮崎監督にも誰にもわからない。

これが私の思うその後というものだ。

だが、これも私個人の感じることなので正解ではない。

宮崎監督は自分なりのその後をイメージしている。

だったらなぜそれを描かなかったのか?

そこに本当の意味が隠されている。

描かないことによって、見る人それぞれの未来が思い描かれるためだ。

また、見るタイミング、経験してきたこと、自分の置かれている状況によって、ストーリーや結末、その後まで変わってくる。

そのためにその後は描かないのだと私は思っている。

答えを知りたくなる気持ちもわかりますが、答えなんてものはない。

アシタカとサンがその後どうなったのかは、今と数年後では変わるはずだ。

「もののけ姫」という作品を見て、あなたは何を感じただろうか?

そして、アシタカとサンはその後どうなったと思うだろうか?

あなたなりの物語が見えたら、それがあなたにとっての「もののけ姫」のセカンドストーリーなのだ。

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